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節分の厄落としならぬカビ落とし

まだまだ寒い2月ですが、月初には立春があり、春の始まりの月でもあります。その立春の前日が節分。2025年は、2月3日が立春で、節分は2月2日となります。

こいつぁ春から 縁起がいいわえ

月も朧(おぼろ)に 白魚の 篝(かがり)も霞(かす)む 春の空
冷てえ風も ほろ酔いに 心持ちよく うかうかと
浮かれ烏(からす)の ただ一羽 ねぐらへ帰る 川端で
竿(さお)の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)
思いがけなく 手に入る(いる)百両
(上手より声)御厄払いましょう、厄落とし!
ほんに今夜は 節分か 西の海より 川の中 落ちた夜鷹は 厄落とし
豆だくさんに 一文の 銭と違って 金包み
こいつぁ春から 縁起がいいわえ

河竹黙阿弥『三人吉三』のお嬢吉三の有名なセリフです。「御厄払いましょう、厄落とし」と掛け声が入り、今夜が節分だと気づきます。この掛け声を言って回っているのが厄払い。節分に家々を訪れて縁起のいい口上を述べて厄払いをし、銭と豆の入った包みをご祝儀としてもらうという仕事です。

三浦の大介百六つ

落語『厄払い』では、これを与太郎が行います。必要なものは何もなく、口上さえ言えればできる稼ぎ。この口上は毎年聞いているものですから、当時は誰もが知っているものだったらしいのですが、なんせ与太郎ですから、その口上を覚えることができません。ちなみに上方と江戸では口上は少し違っていたようです。

上方では、
あぁ~らめでたや、めでたやな。
めでたいことで払おなら、鶴は千年、亀は万年、浦島太郎は三千歳、
東方朔(とうぼう さく)は九千歳、三浦の大介(おおすけ)百六つ。
かかるめでたき折からに、如何なる悪魔が来ようとも
この厄払いが引っ掴み、西の海へさらり、厄(やっく)払いまひょ

江戸では、
あーらめでたいな、めでたいな。
今晩今宵のご祝儀に、めでたきことにて払おうなら、
まず一夜明ければ元朝の、門に松竹、注連飾り、床に橙鏡餅。
蓬莱山に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、
浦島太郎は三千年、三浦の大介百六つ。
この三長年が集まりて、酒盛りをいたす折からに、悪魔外道が飛んで出で、
妨げなさんとするところ、この厄払いがかいつかみ、
西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山の方へ、さらありさらり

長寿といわれる東方朔、浦島太郎、三浦大介義明の3人がでてきます。長寿というめでたいことで、厄を払おうという口上のようです。浦島太郎を長寿といっていいのか、疑問ではありますが。

ちなみに、東方朔は前漢の武帝に仕えた文官で、紀元前154年生まれ紀元前93年没の実在の人物です。側近として武帝の話し相手を務めました。後には神格化され、三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んで食べて長寿を得たという伝説がつくられました。能に『東方朔』という作品があり、九千歳の仙人として登場します。
浦島太郎は、万葉集や日本書紀、丹後風土記にも原型の物語の記述がある古くからのお話しです。
三浦大介義明は、平安末期の相模国三浦郡衣笠城の武将です。治承4年(1180年)に伊豆で源頼朝が挙兵すると、これに呼応。衣笠城合戦において89歳で戦死しました。後年、衣笠山で三浦大介義明十七回忌が営まれた際、頼朝は「義明は私とともに17年間生きてきた」と言ったとのこと。亡くなったのが89歳、そこから頼朝と17年を生きたということで、「三浦の大介百六つ」と言われたのですね。

カビ落とし

厄払いが家々を回るという風習も今ではなくなり、節分の行事といえば豆まきくらいになりました。厄落としが果たして効果があるのかどうかは分かりませんが、エムエムインターナショナルのカビを落とすサービス「ピュアテクト モールド」の効果は一目瞭然です。業務用の薬剤をカビに直接塗布し、カビを根こそぎ分解することで、驚くほどにカビが落ちます。

カビ払いましょう、カビ落とし!

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